西念秋夫(Akio Sainen)<日本の手仕事展2024>
日本の手仕事展2024 ~持続可能なものづくり~
陶芸作家 Ceramist
西念秋夫 Akio Sainen
【作家メッセージ】
陶器(すえき)の歴史
中国と日本の交流が、歴史に表われるのは、秦の始皇帝が、不老長寿の薬を求めましたBC200年、始皇帝の命を受け、東へ出発したのは、呉の国の徐福でした。
それは、真珠を求める度でしたが、これを機会に新転地を目指しました。若い男女2000人あまりを舟に乗せ、東へ出発したのです。
何十艘にもなる船団は、八重山、九州、朝鮮へ着きました、徐福の舟は淡路島に着いて、中国文化を象徴する銅鐸を伝えました。
徐福たちは銅鐸、銅矛を宝物として伝え、呉と言う地名も付けました。
呉から伝わった服は呉服で、和の服は今でも呉服屋さんで売られています。
同時に酒の器として銅器が伝わりました。
銅器は高価で、一般にはその形を写した陶器(すえき)が酒器として使われました。
古墳時代に泉北では、この陶器が作られていて、応神天皇は、陶新神社(すえあらたじんじゃ)にいた大国主の子、「大田田根子」を三輪山に迎え、酒造りの神事を始めました。
行基の作った久米田池には、酢壷伝説があり、大甕に白蛇が入って酢を作ったと伝えられています。
【Message from the Artist】
History of Sueki Pottery.
In 200 BC, during a period of cultural exchange between China and Japan, a fleet from the state of Wu (China) arrived on Awaji Island and brought with them bronze bells, which symbolized Chinese culture. Along with these, bronze containers used for sake were also introduced.
Since bronze containers were expensive, the general public began to use Sueki, a type of pottery imitating their shape as sake containers.
【経歴・受賞歴・出展歴など】
西念秋夫 (秋生) (宗秋)
略歴
1960年 コンロ窯にて開窯
1963年 加藤泥二氏(千亀利窯) に師事
1964年 大阪ガス陶芸コンクールの高校部門で、奨励賞受賞
1966年 篠原陶器研究所(神戸市六甲)に入所
(泥二氏没のため) 2年半在職
1968年 大阪府泉北須恵窯跡の調査員保助員となる
1971年 西念陶器研究所を開設する
1972年 第1回 近畿支部日本工芸会展 入選
1973年 第2回 近畿支部日本工芸会展 入選
日経奨励賞受賞
1975年 第23回 日本工芸会展 入選
以後、思う所により出品せず
1976年 轟窯を研究所に併設する
同、 パナリ土器調査
1980年 泉州土の生産を始める
1988年 日本美術工芸会 副会長
1991年 泉州陶磁器協同組合長
1995年 コンロ窯アジア陶芸博展示