5月のうまいもん/瀬戸内の鰆
「西京焼きや幽庵焼きもいいけれど、鰆はやっぱりしゃぶしゃぶに限る」
西京焼きやムニエルの素材としてよく用いられる鰆は、その字が示す通り春の代表的な産物として知られ、春を告げる魚といわれています。元来、鰆の語源はその形から由来しており、狭(さ)と腹(はら)から成ります。つまり腹が狭く細いという意味なのです。スズキ目サバ科に属する海水魚で、出世魚と呼ばれます。40~50cmをサゴシといい、50~60cmをナギ、60cm以上になるとサワラと呼ぶのです。北海道南部から東シナ海まで分布しているそうですが、基本的には日本海南部や黄海・東シナ海に分布するものと、瀬戸内から西日本太平洋に分布するものに分けられ、我々関西人は後者を口にする方が多いのかもしれません。字から想像するイメージや季節的な漁もあってか、どうしても春の魚の印象が強いのですが、旬はもう一つあって秋や冬が美味しいともいわれています。けれど秋の落ち鱧が本当の旬なのにあまり印象づけられていないのと同様に、鰆もどうしても春の方が消費者に受け入れられやすいようです。これは地域的影響もあってそう思われていて、外海から瀬戸内海へやって来て産卵することもあって西日本では、特に瀬戸内において鰆は春が美味しいと伝えられているのでしょう。片や寒鰆を好むのが東日本です。産卵前の脂の乗った身を好む関東では、鰆が秋や冬の魚となって来ます。
以前、我が大阪の事務所に淡路島・由良漁港の橋本一彦さん(海幸水産)から何の前ぶれもなく鰆が送られて来て困ったことがあります。なぜかというと、その体長に難があるからです。鰆は全長1m程度あり、最も大きいものでは115cm12㎏にもなるそうです。送られて来た鰆の大きさは1m近くはあったと思います。細長い箱に入っていた鰆は、漁港からの直送便で海水も含んでいました。いくら袋に入っているからといっても縦にするわけにはいかず、その日は車で来ていなかったために電車で持って帰りました。ラッシュアワー時に1mもある箱を横にして持たねばならず難儀したのを覚えています。しかも大きな鰆を少人数の家庭では消費できず、切った部位を近所の人達に配りました。
ところで西京焼きで有名な鰆ですが、実は刺身が最も旨いと言われています。しかし、生で提供している飲食店が少ないのは、鮮度を保つのが難しいからです。そのために刺身で出す店はほとんどなく、あっても焼き霜料理がほとんどです。私の好物は、鰆のしゃぶしゃぶ。これとてあまりお目にかかれないのは前述のような理由からです。けれど新鮮な身ならば、火を強く入れるのではなく、鍋のだしに潜らせる程度で食すのが美味しいのです。薄めに切るのがいいのでしょうが、身が柔らかく弱いために厚めでもそこは仕方ないことで、漁場以外で鰆のしゃぶしゃぶが楽しめることに価値を見出すべきでしょう。かつてJR大阪駅中にあった某店に橋本さんが造り用にと鰆を送ったことがありました。その折りに料理人が「焼き物用の魚が来ています」とクレームが入ったそうです。魚を熟知している橋本さんは「鰆は造りか、しゃぶしゃぶが旨い」と一蹴したそうですが、料理人とて鰆をその手の素材としてしか認定していない人が多いというエピソードの一つです。
さて、「さかばやし」では、鰆を「今月のうまいもん」として提供させていただきます。要予約にて鰆のしゃぶしゃぶ鍋もお楽しみいただけますのでぜひご期待ください。
(フードジャーナリスト・曽我和弘)