12月のうまいもん/淡路島の三年とらふぐ
「食」には単に食するだけのものと、食文化が伴うものがあります。毎日三食の食事は前者に当たり、後者は日頃、口にしにくいものが当たるのかもしれません。そんな無理矢理こじつけた定義に則すと、「ふぐ」は食文化の代表のような存在。毒があって危険なものに大枚を叩 ( はた ) いて味わうのですから、文化が伴っていないようでは安易に食する行動には出ないと思われるからです。
かつて作家の坂口安吾は「ふぐを喰うことは文化だ」と言いました。彼の論理では、それを食す経緯が 滔々と述べられています。大昔、一人の男が不思議な形の魚に出合いました。その魚は、ぷーっと お腹を膨らました様を見せていました。男は空腹に耐えかねてそれを食べたのです。すると、男は もがき苦しみ出し、息をひきとります。死ぬ前に男は一つの言葉を残します。「ふぐの目玉には毒が ある」と_。それから少し経った頃に次の男が釣ったふぐの目玉を除いて味わいました。でも彼もま た苦悶の末に命を落とします。そして彼は「ふぐの骨付近には毒がある」と告げるのです。中毒死する度に毒があると思 ( おぼ ) しき場所は変わって行き、やがてどの部位が危険かを悟ります。我々が 今、美味しくふぐを味わえるのは、こんな名もなき方々のおかげかも知れません。「これが文化と言わずして何が文化なのか」、坂口安吾はそう問いかけているようです。
さて、その文化の結晶である「ふぐ」は、近年“三年”というフレーズが踊るようになりました。 これは淡路島・福良で三年間かけての養殖に成功し、その味が評価されているからです。今では淡路島の「三年とらふぐ」は、兵庫県を代表する産物になっています。一般的にふぐの養殖は二年といわれ、800gぐらいのものが市場で流通されています。福良では、さらにもう一年養殖することで ふぐを大きくさせ、その倍近くまで成長させます。漁業関係者以外はもう一年養殖するくらい簡単だろうと思いがちですが、実はプラス一年が大きなリスクを伴うのです。余分な一年を過ごすことで途中で死んでしまうこともありますし、ふぐ同士が互いに傷つけ合ったりします。そのために養殖場では、プールへ移し、一匹一匹手に取って歯をペンチのようなもので抜いてから海 ( 養殖域 ) へ帰します。歯がなければ互いに噛み合うリスクも避けられるのです。ふぐは歯がなくても餌を食べることができるために、抜いても大丈夫なのだと漁業関係者が教えてくれました。
三年かけて育てた「とらふぐ」は、1.2 ~ 1.8kg に成長し、肉もたっぷり。鳴門海峡で育つために潮流にもまれて身が引き締まります。 こうして“三年とらふぐ”のブランドを付けて出荷されてゆきます。 「さかばやし」では、毎年この季節に淡路島の三年とらふぐを仕入れて献立に載せてご用意いたしております。なんといっても「ふぐ」 はてっちりが一番で、加えて唐揚げや焼き物などが有名です。この ヒレ酒も美味で、「福寿」で作ればさらに味わい深いものになります。 淡泊ながらも味のある「ふぐ」を食べながら今年一年を振り返るのもオツなものでしょう。
( 文/フードジャーナリスト・曽我和弘 )