12月のうまいもん/淡路島三年とらふぐ
今や、ふぐ好き関西人の冬の味覚の代表格に
関西人のふぐ好きは有名で、「てっちりを食べないと冬の訪れがわからない」と言う人まで出るほどの状況です。それくらい関西では、ふぐが食べられており、特に大阪府下での消費が多く、全国の約6割は大阪で消費されているようです。ふぐは毒のある魚ゆえに、江戸期にはそれを食べる事を禁じていました。ところが長州(今の山口県)などでは隠れて食していた歴史もあって、禁じてはいたものの、その美味しさを知っていたと思われます。まっさきに解禁したのは山口県で、長州出身の伊藤博文が下関を訪れた際にたまたま時化(しけ)で魚が獲れず、下関の迎賓館の女将が思い切ってふぐを出したのが発端。ふぐの美味しさを思い出した伊藤博文が明治21年(1888)に山口県令に働きかけてふぐ食を解禁したのです。以来、下関はふぐのメッカとなり、今でも下関産のふぐは高値で取引されています。
大阪府でのふぐ食の解禁はいつかと調べてみると、意外に遅くて昭和16年(1941)。兵庫県が大正7年(1918)に解禁しているため、むしろ兵庫県の方が早くふぐ食が始まっており、23年も遅れて大阪府が解禁になったようです。遅れての解禁となりましたが、なぜこれほどの消費量に至ったのでしょう。てっちり流行のきっかけは、大阪の老舗料理店のテレビCMが原因。昭和30年頃に昼間から酒呑みが多い新世界で、何あっさりとしたメニューとしてふぐ鍋を始めたのがきっかけ。外食店として初のテレビCMを流し、その事で広くてっちりが知られたといわれています。そんな事がきっかけで関西人のふぐ好きは始まっており、全国でも市民権を得て、「天然ふぐのいいものは、まず大阪へ回す」が合い言葉のようになって流通しています。
ところで兵庫県のふぐ事情といえば、今では「淡路島三年とらふぐ」を抜きに語る事ができません。冬場になると、淡路島のホテル・旅館では、それをメインに集客しており、「淡路島三年とらふぐ」を食べるバスツアーなども企画されているぐらい。淡路島・福良漁港でふぐの養殖が始まったのは昭和60年(1985)ごろ。仕掛人は「若男水産」の前田若男さんで、福良漁協に属する五軒の漁師がとらふぐを三年間養殖する事に取り組みました。ふぐの養殖においては、長崎や熊本、愛媛、福井などが有名で、福良はむしろ後発組。そのため少
しでも特徴のあるとらふぐを出荷しようと、三年の養殖に乗り出したそう。一般にふぐの養殖は二年と相場が決まっており、800gほどになったら出荷していました。前田さんは、あと一年余計に養殖する事で、1.2〜1.5kgぐらいの大きさまで育てて出荷しようと考えました。ところが一年間余計に時間をかけると、噛み合って傷ついたり、病気で死んでしまったりとリスクが大きくなります。ところが単に身体が大きくなるだけではなく、二年ものより味も濃厚に。身の締まりもよくなり、噛めば噛む程滋味深い味わいが楽しめます。ならばリスク覚悟で三年間養殖しようと決め、本格的に三年とらふぐの養殖を行うようになりました。とは言っても少しでもリスクを回避せねばなりません。一年もの、二年もの、三年ものと生け簀を分けて育て、ふぐ同士が噛み合わぬよう歯を抜いて生け簀に放ちます。動きが鈍くなる冬には、エサを少なくしたり、エサやりも二回程に減らしたりしながら、ダイエットを心掛け、健康体で育てる工夫もしているそうです。そんな努力が功を奏していつしか淡路島三年とらふぐはブランドに。今では兵庫県の名産品の一つに挙げられているほど有名になりました。
そんな淡路島三年とらふぐを「さかばやし」では10年以上前から着目しており、12月は毎年、うまいもんのテーマ食材として「淡路島三年とらふぐ」を提供してきました。12月上旬に催される「旬の会」では、淡路島三年とらふぐにの特別会席を提供しており、今では「さかばやし」の12月の名物企画になっています。「旬の会」以外でも「さかばやし」では、「淡路島三年とらふぐ」を会席料理の一部や一品料理でもお楽しみいただけます。勿論、それを用いたてっちりもご用意いたします(要予約)。兵庫県の名産品と謳われる淡路島三年とらふぐをぜひこの機会にご堪能ください。
(文/フードジャーナリスト・曽我和弘)
2024年12月
料理長おすすめの「淡路島三年とらふぐの一品」
■淡路島三年とらふぐ薄造り 1,800円
■淡路島三年とらふぐ唐揚げ 2,000円
■淡路島三年とらふぐ小鍋 2,800円
※おすすめの一品は前日15時までのご予約にて承ります。
※価格は税込価格です。
※写真はイメージです。